1997年のJリーグは、リーグ戦が4月12日に開幕、10月4日に日程を終了し、12月6日、12月13日にチャンピオンシップを行った。リーグの優勝クラブは1stステージが鹿島アントラーズ、2ndステージがジュビロ磐田で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝はジュビロ磐田

参加クラブ

1997年シーズンのJリーグのクラブは以下の通り。昨シーズンのジャパンフットボールリーグで準会員かつ上位2位までに入ったヴィッセル神戸が新たに加わり、計17クラブとなった。

レギュレーション

この年は2年ぶりに2ステージ制に戻された。ただし、95年シーズンまでのステージごとのホーム・アンド・アウェー2回戦総当りではなく、1回戦総当たり(17節×2ステージ)(年間ではホーム・アンド・アウェー2回戦)が採用された。このためステージごとに見た場合、ホームでしか対戦しない相手、アウェーでしか対戦しない相手が発生した。その他、奇数クラブ(17クラブ)で施行されたため、各節につき1チーム試合がないクラブがあった。現状J1で参加クラブが奇数となったのは1997年度が最初で最後。

リーグ戦の各試合は従前通り完全決着方式(前後半90分で決着が付かない場合、前後半15分ずつのVゴール方式による延長戦を行い、それでも決着が付かない場合はPK戦)を採用したが、前年の鹿島が「PK戦負け」の数の差で優勝したこともあり、勝ち点配分の見直しが行われた。見直しにより、90分勝ちが3、Vゴール勝ち2、PK勝ち1に改められ、負けはいずれの場合も勝ち点0になった。

また、このシーズンから各選手が付ける背番号が固定制となった。

リーグ戦の冠スポンサーは無くなったが、Jリーグチャンピオンシップについてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。

スケジュール

この年のリーグ戦は、1stステージが4月12日開幕・7月12日閉幕、2ndステージが7月30日開幕・10月4日閉幕と、4月から10月の約半年間で全34節をこなす過密日程となった。これは、3月にW杯1次予選(日本とオマーンの「ダブルセントラル方式」)、11月に中立地開催の最終予選が予定されていたためであった。この影響でレギュラーシーズン最終節が10月4日に定められたが、これはレギュラーシーズンにおいて最も早い閉幕日である。

リーグ概要

前述の通り、W杯最終予選に配慮して日程を繰り上げたJリーグだが、皮肉にもその最終予選はホーム・アンド・アウェー方式に変更となった上にシーズン終盤の9月7日から始まったため、第2ステージでは日本代表抜きで戦う節が多数あった。このこともあり、2ndステージの観客動員数は9,651人と1万人を割り込み、年間の平均観客動員数も10,131人と過去最少の数値 となった。それでも、地域密着型の運営を行った鹿島や浦和は観客動員数を大きく落とすことなくシーズンを終えている。

また、この年からCS放送でのテレビ中継をジュピタープログラミング(現・ジュピターテレコム)が取得したが、当時ジュピターにはスポーツ専門放送が無かったため、代替処置として

  • 生中継はCSN1ムービーチャンネルの枠内番組「CSN1 J SPORTS」として毎節1試合のみ放送
  • 残りの試合はGAORA、スカイ・エーにサブライセンスする形での録画放送とした。

リーグ戦結果

  • 以下の順位表において、勝利数・敗戦数はいずれも90分での勝利数・敗戦数を示す。

1stステージ

開催期間:4月12日 - 7月19日

2ndステージ

開催期間:7月30日 - 10月4日

年間総合順位

上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。

サントリーチャンピオンシップ

チャンピオンシップは2年ぶりであるが、この年はホームチームの決定を従来の「第1戦は第1ステージ優勝クラブ、第2戦は第2ステージ優勝クラブのそれぞれホームゲームとして行う」というやり方ではなく、抽選によりホームチームを決定する方式が取られた。

合計スコアが4-2となり、ジュビロ磐田が年間王者に決定。オリジナル10以外のクラブとして初めての年間優勝。

テレビ中継
  • 第1・2戦とも NHK総合テレビジョン

表彰

ベストイレブン

得点ランキング

出典: J.LEAGUE Data Site

記録

  • Jリーグ通算4,000ゴール
    横山貴之(セレッソ大阪 1997年8月23日 - 2ndステージ第7節vsガンバ大阪・万博記念競技場)

Jリーグ準会員

  • コンサドーレ札幌
  • ブランメル仙台
  • 川崎フロンターレ(1997年6月承認)
    この他Honda FCを母体とした「浜松FC」が1997年6月に準会員に認められたが、運営会社やスタジアム整備などの諸問題のため同9月準会員資格返上
    鳥栖フューチャーズは運営会社破綻により1997年2月に準会員資格喪失。その後サガン鳥栖が後継チームとして結成されたが、当初は任意団体であったため準会員申請資格がなかった。ただし特例として1997年のJリーグカップにはフューチャーズの代替枠(事実上サガンがフューチャーズの継承チーム)の扱いで出場できた。
    1997年のJFLの成績により1位・札幌のJリーグ入会が認められた。

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 1997年のスポーツ
  • 1997年のJリーグカップ
  • 第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会

1997年シーズン サッカーマガジンWEB

サッカーで振り返る平成史と、未来への展望。:Jリーグ.jp

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