中村 忠雄(なかむら ただお、1909年(明治42年)2月8日 - 1981年(昭和56年)5月30日)は、日本の政治家。茨城県龍ケ崎市長を務めた(2期)。
来歴
茨城県稲敷郡柴崎村(のち新利根村→新利根町、現在の稲敷市)に生まれる。1931年(昭和6年)に東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)を卒業した。その後、歯科医院を開業する。
1940年(昭和15年)稲敷郡大宮村(現在の龍ケ崎市)会議員となり、1946年(昭和21年)には議長となる。
龍ケ崎市発足後の1955年(昭和30年)、龍ケ崎市議会議員となる。1966年(昭和41年)、市議会議長に就任した。1975年(昭和50年)、龍ケ崎市長に当選した。1979年(昭和54年)に再選した。在任中は市内にニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画していた。しかし、2期目途中の1981年(昭和56年)5月30日、交通事故により死去した。6月13日に龍ケ崎市民葬が執り行われた。
栄典
- 勲四等旭日小綬章
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 『茨城県人物・人材情報リスト 2021』日外アソシエーツ、2020年。
関連項目
- 堀忠雄 - 京都府和束町長、在任中に交通事故で死去。
- 世古口哲哉 - 三重県明和町長、在任中に交通事故で死去。



