フランク・マクグリン・シニア(英語: Frank McGlynn Sr., 1866年10月26日 - 1951年5月18日)は、アメリカ合衆国の俳優。舞台劇や映画に出演し、エイブラハム・リンカーン役として成功を収めた。
経歴
1866年、サンフランシスコにて生を受ける。彼はフランクとメアリーのマクグリン夫妻がもうけた最初の子供で、兄弟としては妹2人、弟1人がいた。国勢調査記録によると、1869年に生まれた末の弟ジョージは1870年から1880年の間に死去している。父はニューヨーク出身のアイルランド移民二世で、大工を経て不動産業者として働いていた。母メアリーはカリフォルニア・ゴールドラッシュ頃に渡米したオーストラリア出身のアイルランド移民二世だった。
元々、マクグリンは法律家を志していた。カリフォルニア大学ヘイスティング法学部にて法学位を得た後、1894年から弁護士会(Bar)に名を連ねることとなった。しかし、それにもかかわらず1896年にはカジノ劇場にて喜劇『The Gold Bug』(脚本:グレン・マクドナウ、音楽:ヴィクター・ハーバート)への出演を果たしている。
俳優として
1896年末、マクグリンは舞台劇『Under the Red Robe』の路上公演を観劇した。この劇はスタンリー・J・ウェイマンの同名小説を原作としてエドワード・エヴェレット・ローズが脚本を担当したものだった。その後の20年間、マクグリンはストック・カンパニー(Stock company, 劇場住込み俳優)の1人として舞台劇や初期の無声映画に脇役として出演を続けた。
彼が大ブレイクを果たすのは1919年のことである。当時53歳、身長6フィート4インチだったマクグリンが、ジョン・ドリンクウォーターの舞台劇『Abraham Lincoln』で主演に抜擢されたことがきっかけだった。『Abraham Lincoln』はコート・シアターで193回も上演され、路上公演も含めると2年間以上にわたり公演されていた。1924年にはリー・ド・フォレストとJ・サール・ドーリーが手がけた2リールの短編映画『Abraham Lincoln』に出演した。この映画はドリンクウォーターの舞台劇を原作としており、フォノフィルム方式で撮影されていた。ブロードウェイでは7つの舞台劇に出演した。最後に演じたのは1930年にシアター・リパブリックで上演された舞台劇『Frankie and Johnnie』のジョニー役だった。その後、リンカーン役を中心に1940年代後半まで映画出演を続けた。彼は10本の映画でリンカーンを演じ、1本の映画でリンカーンを演じる俳優を演じた。
死去
1951年5月18日、ニューバーグにあった娘の家で死去した。死去の時点で家族として3人の娘、すなわちヘレン(Helen)、バージニア・ローズ(Virginia Rose)、マリー・ローズ(Mary Rose)と、息子トーマス(Thomas)があった。妻のローズ(Rose)ともう1人の息子で俳優のフランク・ジュニア(Frank Jr.)は、マクグリンよりも先に死去している。遺体はForest Lawn Memorial-Parks & Mortuariesに埋葬された。
主な出演作(映画)
脚注
外部リンク
- フランク・マクグリン・シニア - IMDb(英語)
- フランク・マクグリン・シニア - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語)




