1954年の阪急ブレーブスでは、1954年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、第2次西村正夫監督体制の1年目(通算5年目)のシーズンである。
概要
戦前・戦後期に監督を務め、高橋の監督に転出した浜崎真二の後を受けて西村新監督が再び就任。この年後に1979年から2年間監督を務め、現役時代は米田哲也や石井茂雄や足立光宏らと強力投手陣を形成し、米田と「ヨネカジ時代」を築いた梶本隆夫が入団。梶本は1年目からローテーションに入って大車輪の活躍を見せ、それ以外の投手も阿部八郎や柴田英治らが健闘してそれなりの成績を収めた。打撃陣はラリー・レインズが首位打者と最多安打を獲得し、川合幸三や戸倉勝城なども健闘したが肝心のチーム成績は9月までは勝ち越すも10月11日からまさかの9連敗で、最終戦で勝って10連敗を免れる体たらく。4年連続最下位だった近鉄が10月を12勝4敗と勝ち越したのに対して阪急は4勝11敗1分と大きく負け越し、貯金がなくなった。最後は66勝70敗4分の5位で1952年以来のBクラスに終わった。
チーム成績
レギュラーシーズン
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
出典




