中洲町(なかずちょう)は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。西から中洲町一丁目、中洲町二丁目、中洲町三丁目と並ぶ。

郵便番号は〒770-0856。

統計

  • 人口:571人(2025年1月。徳島市の調査より)
  • 世帯数:286世帯(同上)

地理

元は福島町・塀裏町の各一部であり、1941年から現在の町名となる。

ひょうたん島南東部に位置する町で、町の南を吉野川の支流である新町川が流れ川岸にはケンチョピア(みなと公園)のヨットハーバーが広がる。町の東には同じく吉野川水系の助任川(福島川)が流れている。

西辺は牟岐線で、反対側の幸町とは南端(新町川河岸)のアンダーパスでのみ通じている。ただし歩行者・軽車両専用のアンダーパスがもう1ヶ所ある。なお中洲総合水産市場は中洲町ではなく幸町にある。

地形

  • 河川:新町川、助任川

歴史

中洲町は江戸時代には、西に連なる幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に新町川の河道だった。しかし堆積が進むと、1880年(明治13年)ごろには干潟・カヤ原となった。

江川克己 (1847年8月~1909年) は、この地を埋め立て港湾とすることを計画した。まず土地を名東郡から借り受け、1889年(明治22年)に徳島市議会議員・1893年(明治26年)に徳島県議会議員となり、1898年ごろまでに埋め立てを終え、所有権も手に入れた。

これにちなみこの地は江川新田と呼ばれた。住所表示は現在の幸町三丁目の大半・南内町の大半と共に「塀裏町土手外」だった。塀裏とは本来は寺島(牟岐線の西側)の地名である。

新町川河岸に川港の中洲港が築かれ、大阪行きの定期航路が発着するようになった。1922年(大正11年)には内務省指定の重要港湾の徳島港となった。しかし船舶の大型化に伴い徳島港は海岸へ移動し、旧・中洲港はヨットハーバーのケンチョピアとなった。

西端にはかつては寺島川が流れ、中洲港・徳島港の一部となり、河口には中洲橋が架かっていた。しかし1960年ごろ埋め立てられ暗渠化し、現在は寺島排水機場で新町川に排水されている。埋立地は寺島公園と徳島中央警察署になった。

施設

公共施設

  • 徳島中央警察署 - 中洲町一丁目
  • 徳島県薬剤師会検査センター

公園

  • ケンチョピア(みなと公園) - 中洲町一丁目、中洲町二丁目、中洲町三丁目
  • 寺島公園 - 中洲町一丁目

オフィス

  • 三井住友海上火災保険徳島ビル - 中洲町二丁目
  • AIG損害保険徳島支店

  • 江川克己彰徳碑 - 中洲町二丁目

交通

道路

  • 一般国道
    • 国道55号
  • 県道
    • 徳島県道190号徳島港線

バス

  • 徳島バス・徳島市営バス
    • 中洲町

  • かちどき橋 - 新町川を越えかちどき橋(地名)へ。
  • 福島新橋 - 助任川を越え福島・新南福島へ。
  • 中洲みなと橋 - 助任川を越え新南福島へ。

参考文献

  • 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)

出典

外部リンク

  • 徳島市ホームページ

中洲(福岡県) 【ロケ地 検索】全国ロケーションデータベース

中洲島

徳島(3) 集英社新書プラス

徳島ミニ旅行記(夕方の徳島中心部 ) OsakaSirokichies Blog

東中洲 まちの記憶 ~風土アーカイブズ~