ザカントリークラブ (The Country Club) はマサチューセッツ州ブルックラインにある米国で最も古いカントリークラブの一つ。全米ゴルフ協会 (USGA) 設立に貢献した5つのクラブの一つに数えられ、また、当時無名のフランシス・ウィメット (Francis Ouimet) が勝利した1913年の全米オープンを含む多数の USGA 主催大会の開催地となった。およそ 1,300人のメンバーを有しているが、その排他性においても有名である。

歴史

1882年1月14日ボストン出身者有志が集まり全米最古のカントリークラブの一つとして創設された。USGA のアメリカ初期100クラブリストにも収載されている。設立当初は乗馬や野外活動に重点が置かれていて、ゴルフコースができるのは 1893年まで待たねばならなかった。以降数年間は用地の使用法をめぐりゴルファーと他のクラブメンバーの間に対立があった。実際、もともと存在していたレーストラックとゴルフコースが一部で重複するなどしていた。

ゴルフコースは何段階かに分けて増設拡張が行われたため、特定の設計者と呼ばれる者がいない。最初期の6ホールコースは3人のクラブメンバーがレイアウトを行い、その翌年にスコットランド人であるウィリー・キャンベルがクラブプロとして招聘された。キャンベルは全体の見直しと9ホールへの拡張をその夏に実施し、1899年には周辺の用地買収を伴った18ホールコースへの拡張を行った。1902年ごろにはハスケル社製ゴルフボールが広く使用されるようになり、コースの距離延長が必要となった。更なる用地買収の後、1908年に二人のメンバーの設計で新たに3ホールが増設された。1988年にはリーズ・ジョンソンが全米オープン開催のために大幅な改修を行った。

1894年、ザカントリークラブは、USGA(全米ゴルフ協会)設立時に中心となった5つのクラブの1つだった。当初の目的は、誰もが認める全米アマチュア選手権を(統一ルールの下で)開催することであり、実際、翌1895年に第1回大会が開催された。同年、第1回の全米オープンも(後付けの感が強いながらも)開催された。ザカントリークラブで開催された最初のUSGA選手権試合は、1902年の全米女子アマチュア選手権だった。

1896年にスコットランド人のプロであるアレックス・キャンベルをヘッドプロとして雇用した(1896年 – 1916年)。キャンベルは当時キャディをしていたフランシス・ウィメットの才能を見出し、チャンピオンシップ級の選手に育てることに大いに貢献した。

1913年の全米オープンはここザカントリークラブで開催された。大多数は伝説的イングランド人ゴルファーのハリー・バードン(1900年全米オープン優勝、全英オープン優勝4回)またはテッド・レイ(直前回の全英オープン優勝者)のいずれかが優勝するだろうと考えていた。72ホールを終了して、優勝候補の二人は20歳のアマチュアであるフランシス・ウィメット(このコース正面の道路の向こう側で育ち、かつてこのコースでキャディをしていた)とタイスコアで並んでいることに気づいた。そして翌日の18ホールプレーオフにもつれ込んだ。ここでウィメットは大勢のギャラリーの前で二人のプロゴルファーを見事に破り、これを報道した新聞記事にアメリカ大衆は惹きつけられた。その後10年で米国のゴルフ人口は少なく見積もっても3倍になり、ゴルフ場もパブリックコースを含めて急速にその数を増した。ウィメットの勝利から50周年と75周年にあたる1963年と1988年の全米オープンもここで開催された。100周年にあたる2013年の全米オープンはフィラデルフィアのメリオンゴルフクラブで開催されたが、代わりにその年の全米アマチュア選手権はこのザカントリークラブが会場となった。

1913年の全米オープンでのフランシス・ウイメット勝利のストーリーは、2002年のマーク・フロストにより「The Greatest Game Ever Played」で書籍化された。偶然にも、著者であるマーク・フロストは、1976年にザカントリークラブの会長であったトーマス・B・フロストと同じ姓を共有していた。

1999年のライダーカップの舞台にもなった。ジャスティン・レナードが17番グリーン(ウィメットが事実上勝利を決めたのと同じグリーン)で形勢逆転の45ヤードのロングパットを決めた際、他の米国チームプレーヤーが大勢グリーンに上がって祝福した。だがこのときまだホセ・マリア・オラザバルはパットを打っていなかった。グリーン上の秩序が回復した後、オラザバルは集中力を取り戻そうとしたが、結局このパットは入らなかった。

ザカントリークラブは長い間マサチューセッツで最良のコースと見なされており、過去10回のマサチューセッツ州アマチュア選手権を開催している。

ゴルフコース

ゴルフコースとしては全27ホールで、これらを二つのコースとして使用している。

メインコースクライドスクィレルという名称を持つそれぞれ9ホールずつの都合18ホールであり、これが元からあったコースで、1913年の全米オープンはここで行われた。現在はメンバーがプレーしている。

もう一つの9ホールコースはプリムローズコースと呼ばれ1927年に増設された。シネコックヒルズゴルフクラブ、デンバーのチェリーヒルズカントリークラブ、ホームステッドのカスケードコース、マサチューセッツのキタンセットなどを手掛けたウィリアム・S・フリンの設計による。

長い距離を必要とするメジャーな大会で使用する際には、クライドコースの3ホールを使わず、代わりにプリムローズコースのうち3ホール半を使い、ほぼ7,400ヤードのコースに仕立てている。プリムローズコースが完成した後のメジャー大会ではすべてこのレイアウトを用いている。

現在のヘッドゴルフプロはブレンダン・ウォルシュが務めている。

開催トーナメント

メジャー大会

その他の大会

  • 1905年マサチューセッツ州アマチュア 、 アーサー・G・ロックウッドが優勝
  • 1908 マサチューセッツオープン 、 アレックロスが優勝
  • 1911年マサチューセッツオープン 、 ドナルド・ロスが優勝
  • 1915年マサチューセッツ州オープン 、 ウォルター・ハーゲンが優勝
  • 1920 マサチューセッツアマチュア 、 フレッドライトが優勝
  • 1925年マサチューセッツ州アマチュア 、 フランシス・ウイメットが優勝
  • 1932 ウォーカーカップ 、 イギリスとアイルランドで 米国が9½-2½で優勝
  • 1934年マサチューセッツ州アマチュア 、 ウィリアム・O・ブラニーが優勝
  • 1949年マサチューセッツ州アマチュア 、 ボビー・ノウルズが優勝
  • 1953年全米女子ジュニアアマチュア選手権 、 ミルドレッド・マイヤーソンが優勝
  • 1967年マサチューセッツ州アマチュア 、 バリー・ブルースが優勝
  • 1968年全米ジュニアアマチュア選手権 、 エディ・ピアースが優勝
  • 1973 ウォーカーカップ 、 イギリスとアイルランドで 米国が勝利10-14
  • 1976年マサチューセッツ州アマチュア 、 ブルース・ダグラスが優勝
  • 1987年マサチューセッツ州アマチュア 、 ケビン・ジョーンズが優勝
  • 2003 マサチューセッツアマチュア 、 アンディドロヘンが優勝
  • 2009年マサチューセッツ州アマチュア 、 ビル・ドロヘンが優勝

著名なメンバー

  • トム・ブレイディとジゼル・ブンチェン
  • アン・ネイソン

その他の施設

このほかに5面のインドアテニスコートと芝生植生を含む4面の屋外テニスコート、パドル及びスカッシュコート、カフェを併設したオリンピックサイズのプール、カーリング場、スキート射撃場、スケート場、ホッケー用ピッチを備えている。

参照

外部リンク

  • 公式サイト
  • 1913 Flickr の議会図書館の クラブで全米オープン
  • カントリークラブの設立
  • フランシスウイメットの全米オープン優勝

ザ・カントリークラブ リゾートトラストグループ

施設紹介|ザ・カントリークラブ・ジャパン

コース整備|【公式サイト】 ザ・カントリークラブ・ジャパン

ザ・カントリークラブ・ジャパン/コースレッスン2016年2月9日 横浜ゴルフスクール中島

ザ・カントリークラブ リゾートトラストグループ